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アンドリュー・スミス(Sir Andrew Smith KCB、1797年12月3日 - 1872年8月11日)はスコットランド出身の軍医、探検家、民俗学者、動物学者である。南アフリカの動物に関する多くの著作を残した。 ==生涯== ロックスバラシャーのホイック(Hawick)に生まれた。エディンバラ大学で医学を学び、陸軍の医療部隊に1816年に入り、医学号を1819年に得た。1820年にケープ植民地に派遣され、兵士の治療を監督することを命じられた。1822年のアルバニー(Albany)の地区の医師に任命され、現地の患者の治療も始めた。アフリカ内部の博物学的探検を率い、博物学、人類学の興味を満たした。なんどか当局の要請で国境を越えて、Kaffrariaなどのバンツー族の地域を訪れコサ人の風俗について調査報告した。1825年にケープ植民地の為政者チャールズ・サマセット卿によってケープタウンの南アフリカ自然史博物館の監督者に任じられた。1828年にナマクアランドの調査を命じられ、その結果を1831年の著書『ブッシュマンの起源と歴史』("''On the origin and history of the Bushmen''")に著した。同じ年に南アフリカ東部の政情不安からズールー王国の国王ディンガネ(Dingane)の情報収集を助けた。1833年にはBasutoland、Kuruman、Magaliesbergへの18ヶ月にわたる探検旅行をおこなった。1836年にこの探検の簡単な報告書が書かれたが、詳細の記録を自ら発表しなかった。20世紀に入って、スミスの日記が"''The Diary of Dr. Andrew Smith, Director of the 'Expedition for Exploring Central Africa', 1834-36.''"として出版された。 1837年1月にイギリスに戻り、『南アフリカの動物図』("''Illustrations of the Zoology of South Africa''" :1838-50)5巻本の執筆に取り掛かった。軍医の地位も向上し、1845年には陸軍軍医総監(Director-General of the Army Medical Services)のジェームズ・マクグリガー(James McGrigor)の副官になり、1853年にマクグリガーが退役すると軍医総監となった。クリミア戦争中の医療の責任者であったので、タイムズ紙やナイチンゲールから医療体制の不完全さについての非難を受けることになった。1858年に健康上の問題で引退し、その時点でバス勲章を受勲した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドリュー・スミス (動物学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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